おいらは好奇心の強い男《イエロー編》

『ヴァート』(ジェフ・ヌーン 早川文庫)解説


 この世界はあまり楽しいところじゃない。

 この世に生まれ落ちた瞬間、ぼくはそのことに気づいた。しまった、この世界は退屈だ! そうは思ったが、しかしどうしようもなかった。なんせそのころは泣くことと、おっぱいを吸うくらいしかできなかったからね。もっと大きくなって、世界を変える力がつくまで、とりあえずは我慢だ。そう思ってひたすらおっぱいを吸いつづけるしかなかったのだ。ぼくはいろんなものに興味を持つ、好奇心の強い子供になった。どこかに世界の仕組みが書いてあるかも知れない。道ばたの石ころを順番にひっくり返していけば、きっとそのうち世界の変え方も見つかるだろう。

 中学生のころ、ぼくはSFファンになった。SFこそ、このつまらない世界を変えてくれるものだと思ったからだ。少なくとも、新しい世界の設計図を与えてくれるもののはずだった。こんな現実くらい、科学の力でひっくり返してやる! そのためにSFを読んで想像力を鍛え、科学の勉強をしてパワーを身につけなければならないのだ。

 高校生のころは革命家だった。だってほら、なんか格好いいじゃん、革命って。ゲバラはロマンチックだったし、東アジア反日武装戦線はスリリングだった。彼らはみんなこのクソったれな世界を変えたかったのだ。もちろん、それですぐ銃を握ったわけじゃない。そんな方法じゃあうまくいかないくらいのことはわかっていた。だけど、革命家の熱情だけはしっかり受けとめたと思う。

 しかしいつまでたっても世界は変わらなかった。しょうがないから、ぼくはパンクになった。パンクになるというのは、「こんな世界はクソだ」と認識し、そう口に出すことである。髪を逆立ててブーツでブロック塀を蹴飛ばしても世界は変わらない。でも、変わったような気分にはなるし、大事なのはそのことだ。何も変化がないなら、せめて爽快な気分でいたいじゃないか。

 そのころから、ぼくは考えはじめた。どうもぼく一人の力で世界を変えるのは難しいようだし、たとえ変えられたとしても、自分の思うように変化するとは限らない。マルクスはスターリニズム帝国を生み出すつもりじゃなかったんだろうが、しかし結局はそういうものしか生まれなかった。SFの方もうまく行かない。裏庭でタイム・マシンを作ってみたんだが、二千年後の未来には連れていってくれないようだ。それなら、いっそのこと自分の方を変えてみてはどうだろう? しょせん世界なんて、この脳味噌に認識されたデータの総合体に過ぎないのだ。ならばデータをいじくってやれば、それとも処理系をちょいと変更してやれば、立ち現れる世界像もまた変化を見せるのではないか? 自分の思うように変わった新しい世界、そんなにクソじゃない世界が生まれるのでは? そこでぼくは自分自身を変容させる方法を考えはじめた。

 

 与太話はたいがいにして、ちょっぴり解説も。『ヴァート』は世界を変えることについての物語、他の世界に行くことについての物語だ。『ヴァート』には“ヴァート”なる仮想ドラッグが登場する。ヴァートは美しい羽のかたちをしている。色は六色。青、黒、桃、黄、銀に白だ。ヴァートの使い方は簡単だ。羽を喉に差し入れ、軽く撫でてやるだけ。そして目を開けるとそこには新しい世界が広がっている。ヴァートは仮想現実[ヴァーチャル・リアリティ]ドラッグなのだ。

 羽の種類によって効果が違う。ブルーは合法で安全なトリップを提供する。ブルーの羽をなめれば、連ドラのキャラクターになったり、レーシング・ゲームの主人公になったりできる。黒は密造ヴァートで、青よりもちょっぴり危険。その分スリルも魅力も倍増する。桃色は桃色遊戯、十八歳未満禁止のポルノ・ヴァートだ。どれも暖かく、楽しい夢を提供するドラッグである。ただし黄色はちょっと違う。黄色い羽をなめたときは、途中でやめることはできない。黄羽のトリップで死ぬというのは、現実にも死ぬということなのだ。

『ヴァート』の主人公スクリブルは、やってはいけない黄羽のトリップを試みた。その名も〈キュリアス・イエロー〉。好奇心は猫をも殺す。スクリブルの場合、死んだのは(肉体的にも)愛する妹デズデモーナだった。スクリブルは彼女をヴァートの世界に置いてきてしまう。ここがヴァートの普通のドラッグと違うところ。ヴァートの世界は仮想的[ヴァーチャル]じゃなくて、現実に片足突っ込んでいるのだ。デズデモーナの代わりに、スクリブルがヴァート世界から連れてきたのはブヨブヨのヴァート生物、〈宇宙から来た物体〉だった。かくしてスクリブルはデズデモーナを取り戻すため、絶望的な探索行に出ることになった。

 

“ヴァート”とはなんだろう?

 ヴァートはドラッグである。一服するだけで現実を変容させ、異世界への通路を開いてくれるドラッグだ。LSDその他のドラッグは感覚器官を歪める。服用者はほぼ例外なく、意識の変容を経験する。LSDのトリップによって、新しい、誰も見たことのない世界が目の前に開かれるのだ。もちろん、やり続けるうちに中毒してしまうことだってある。『ヴァート』のキャラクターは、多かれ少なかれヴァートに中毒してしまっている。ヴァートはドラッグのメタファーであり、『ヴァート』はドラッグ小説である。

 ヴァートはTVゲームである。ヴァートを喉に入れれば、剣と魔法の冒険世界に没入することができる。レーサーになり、マドンナとだってファックできる。とはいえヴァートは万能ではない。ヴァートにはヴァートなりの限界もある。合法ヴァートでは、決められた世界の外に行くことはできないのだ。これは一種のTVゲームのようなものではないか? 二次元の世界から解きはなたれ、ヴァーチャル・リアリティ技術によって全感覚領域にまで拡張されたTVゲーム。羽で喉をなでるのは、カセットを差しこんでスタート・ボタンを押すことだ。『ヴァート』自体、現在TVゲーム化が進められているという。

 ヴァートは小説そのものである。小説を読むとき、読者は想像力の飛翔するままに、身を世界に遊ばせ、異世界にあることを夢想する。ある意味では、それはゲームや映画よりも、トリップそのものよりも強烈な異世界体験だ。羽を喉に差し入れるとき、読者は最初の一ページを開く。『ヴァート』の世界を作りあげるのはスクリブルが書いた文章であり、『ヴァート』を読むのはヴァートのトリップを味わうことである。

 ヴァートとはそのすべてであり、それ以上のものだ。『ヴァート』こそ、この上ない真の異世界体験なのだ。ヴァートはドラッグであり、ゲームであり、革命であり、パンクだ。……の(ここにはあなたの好きなものを選んで入れること)めくるめくような陶酔と、身を切り裂くような苦痛を味わせてくれるものだ。そして何よりも、これはSF小説だ。SFを読むときにあなたが求めるだろうもの−−異世界へのトリップ、楽しい気晴らし、冷酷な未来世界、ヒップでクールなちんぴら、耐えがたい喪失感−−そのすべてがある。『ヴァート』は単なる逃避、二時間の暇つぶしではない。これは他の世界に行くことと、この世界に生きることについての小説なのだ。

 

 作者について少々。

 ジェフ・ヌーンは英国、マンチェスター生まれ。マンチェスターと言えばザ・スミスを生んだ八十年代英国ロックの中心地である。ご多分に漏れず、ヌーンもロック少年として成長した。七六年ごろにはマニキュアド・ノーズというパンク・バンドのギタリストだった。同時に一人芝居の戯曲を書き、アシュトンのパブで上演している。

 ロッカー、劇作家、そして画家と多彩な活動を繰り広げていたヌーンは、八四年に友人スティーヴ・パウエルに勧められて小説を書きはじめる。「ピクシーズを聞きながら」書きあげたのが本作『ヴァート』である。『ヴァート』は九三年、パウエルが経営しているマンチェスターの小出版社リングプル・プレスからひっそりと出版された。しかし、たちまち火がついて(スキー旅行に来ていた米国人エージェントが、スイスの空港のブックスタンドで偶然手に取って権利を買う、という嘘のようなシンデレラ・ストーリーつき)、三五歳のヌーンはカルト的な存在になった。『ヴァート』は「九〇年代の『時計じかけのオレンジ』」と絶賛され、九四年には英国で発表された最優秀SF長編に贈られるアーサー・C・クラーク賞に選ばれた。

「マンチェスターはつねにロックの町で、マンチェスターを舞台にした小説はこれまでなかった」とヌーンは言う。ヌーン自身、過去の小説よりは音楽から影響を受けたと語っている。『ヴァート』は“ダブ”で書いた小説だそうだ。米国版と英国版とで一部異同があることにも「リミックス・ヴァージョンだ!」と喜んでいるくらいで、徹頭徹尾ロックな奴である。

 なお、『ヴァート』はシリーズの第一作で、第二作"Pollen"が発表されたばかり。疫病に襲われたマンチェスターで、その原因を探るシャドウコップとその娘の物語だそうな。


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Kiichiro Yanashita / 柳下毅一郎 / yanasita@gol.com