『ザ・パンク』・ウィル・ネバー・ダイ


 むかしむかし、まだ真面目な高校生だったころの話である。とある日曜日、ぼくは模試帰りだった。あのころ、用事で大阪市内に出たときは、帰る前には紀ノ国屋書店梅田店に寄るのが習いだった。今はたぶん違うんだろうが、当時はワンフロア書店としては日本一の売り場面積とかってブイブイ言わせてたのだ。その日は親友のTと一緒だった。Tとは高校が違っていたので、模試のときぐらいしか会う機会がなかったのだ。会うとたいてい一緒にレコード屋を荒らしたり、本屋で立ち読みしたりしていた。なんか暗い青春みたいだが、当人たちは楽しかったんだから、ここは勘弁していただきたい。
 さて、ぼくとTが紀ノ国屋で買えない本を眺めながらああだこうだ言っていると、たまたま洋書のバーゲンセールをやっていた。俗に”タトル流れのバーゲン”と言っていたが、マジックで線を入れたPanのペーパーバックばかり一冊三百円で売っている奴である。いつ見ても同じ本ばかり出てるんだよな。ぼくは当時熱狂的なSFファンだったので、SFを中心に漁っていたが、中に一冊ひときわ薄い本があった。
 黄色い表紙には「世界初のパンク・ノベル! 安全ピンの『ロミオとジュリエット』!」とうたわれている。受験勉強にいそしむクローゼット・パンクスたるわれわれには、とても抵抗できない売り文句だった。しかも、中身は十四歳の中学生がつづり方の時間に書いた作文である。薄い! 簡単! パンク! しかもバーゲンだから安い! これで買わなきゃどうかしている。
 Tとぼくは本を翻訳してみることにした。高校生の英語力でもだいたい理解できるくらいの文章だったし、長さもうってつけだったからだ。二人で交代に訳していくことにしたが、三分の一まで行ったか行かないかで翻訳は中断した。途中で面倒になってしまったのだ。こんなに短いのに……いやいや、高校生にあまり多くを望んではいけない。本はTが持ったまま、ぼくは東京の大学に進学した。それで『ザ・パンク』との縁は切れた、はずだった。
 ある日、神田の古書店街を歩いていたときのことである。神田三省堂で洋書バーゲンセールをやっていたので、ふと覗いてみた。いつもの”タトル流れのバーゲン”で、並んでる本もいつもと同じだ。これって、同じ本がグルグルまわってるだけなんじゃないのか? そんなことを考えながら本を見ていると、そこに見覚えのある黄色い表紙の本があった。二百円だった。
 ぼくは同人誌を作って、そこで翻訳してやろうと考えた。暗い趣味だと思うだろうが、いいじゃないか、そういうのが好きだったんだから。それに、三分の一くらいまではもうやってあるから、そんなに苦労はしないはずだった。コピーで作った個人誌は五号まで出た。翻訳は半分までいったけど、そこまでだった。まあ、大学生にあまり多くは……今度こそ『ザ・パンク』との縁も切れたはずだった。
 それからしばらくして、ぼくはロサンゼルスにいた。メキシコまで映画のロケ見学に行った帰りだった。隣には友人のIがいた。彼はかのカルト・フィルム『ジョアンナ』のリバイバルにかかわって、その調査のためにLAに滞在していたのだ。あったのはプリントだけ、写真も資料も何もなく、監督の居所もわからない。とりあえず監督やスタッフを探さなければならなかった。ぼくの方は別にLAではやることもなかったので、写真探しの手伝いなぞしていたわけだ。さて、その日はホテルに戻ると〈ヴァラエティ〉の最新号を広げた。カンヌ映画祭が終わったばかりで、レポートが載っている。パラパラと見ていると、中に『THE PUNK』という映画のレビューがあった。
 おお! あれが映画になったのかあ。ぼくはさっそくIを呼び寄せた。ほら、これがさあ、高校のときね……ええっと、監督がマイク・サーン。ええ? マイク・サーンって、『ジョアンナ』のマイケル・サーンのことか?
 そうだったのだ。その後とやかくあって『THE PUNK』は日本公開されることとなり、ぼくはこうして因縁を締めくくった。今振り返って思い、このチープかつ痛切な(まさにパンクな)小説を読みなおして、言えることはただひとつ。パンクス・ネヴァー・ダイ。ギデオン・サムズ、RIP。

 本書はGideon Sams: The Punk (Polytranic Press 1977)の全訳である。翻訳底本には1977年のCorgi版を使用した。谷口卓氏がいなかったら、この本を翻訳することはなかった。本書の編集者でもあるPSCの石熊勝巳氏がいなかったなら、この本が日本で出ることはなかっただろう。二人の友人に深く感謝する。


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