ティファナ・コーリング

 もし土地が人種別に色分けされていたら、メキシコから太平洋岸にそってするすると伸びてゆく舌が見えるはずだ。その舌の先っぽにロセンジェルスがある。「ロサンジェルスはメキシコの植民地」などというジョークもあるほどで、少なくとも人口だけで見るかぎりはロサンジェルスの支配人種はハリウッド人種でも、黒人ギャングでもない。まちがいなくヒスパニックである。
 ヒスパニック=スペイン語を話す人々はチカーノ(メキシコ系)を中心に、ロサンジェルスに一大コミュニティを作りあげている。ロサンジェルスのヒスパニック人口は百三十九万人以上。一九九〇年の統計だから、現在はもっと増えているだろう。LA全人口に占める割合は四〇パーセント。これは公式の数字である。毎日のように国境を越えてやってくる不法移民は数に入っていないのだ。
 にもかかわらず、これまで彼らはメディアには登場しなかった。日本のメディアにとってロサンジェルスはビヴァリーヒルズとサウスセントラルだけ、ヒスパニックはせいぜいが“不法移民問題”でしかなかったのだ。では、ヒスパニックはみな移民局の影におびえながら、マリアッチやメキシコ料理店の下働きをしているだけなのか? そんなわけがない。黒人の若者にヒップホップがあるように、ヒスパニックにはヒスパニックの若者文化がある。しかも、ロサンジェルスは孤立したヒスパニック・シティではない。中米からメキシコを越えてカリフォルニアまで伸びる一大ヒスパニック文化圏があり、そこに生きる数千万人の人々がラティーノ(ラテン・アメリカ系)・カルチャーを作り上げている。LAもその一部なのだ。だが、実際のところマリアッチとトルティーヤの陰で、ラティーノの若者たちは何をしているのか? それに答えてくれるのがこの本である。

 この本には、いくつかのルポが収められている。エル・サルバドルの首都サン・サルバドルを襲った大地震のこと。キューバのハバナで開かれたラテン・アメリカ映画祭について。ティファナに集うパフォーマンス・アーティストたちの活動。LAのスラムに生きるグラフィティ描きの若者たちの生きざま。そしてメキシコ・シティーのパンク・ロッカー。どれも、これまでは一度も語られなかったものである。
 登場する人々のあいだには、ほとんど接点と言うべきものはない。フィデロ・カストロはまずメキシコの前衛パンク・ロッカーを聴いたりはしないだろう。だが、だから全員がバラバラと言うわけでもない。ひとつだけ共通点がある。みながふたつに引き裂かれているのだ。アメリカ合州国という存在によって。
 中南米諸国にとってアメリカは大きな存在である。つねに目の上のたんこぶであり、魅惑たっぷりの御馳走だ。さまざまなかたちで干渉してくる米国にナショナリズムは刺激されるが、コカコーラと米ドルは魅力でありつづける。アメリカは無視するには大きすぎ、近すぎる。それゆえラティーノにとって、アメリカは古典的な二律背反アンビヴァレントの対象でありつづける。米国の宣伝放送を心待ちにするキューバの若者たち。アメリカの影響下にオリジナルなロックをつくろうとするメキシコ・シティーのロッカー。そして市のアイデンティティそのものがまさしくアンビヴァレントなティファナに集う若者たちも、みながアメリカへの引力と斥力のあいだで、きわどいバランスをとっている。
 著者、ルベン・マルティネスはメキシコ人とサルバドル人のあいだに生まれ、ロサンジェルスで成長したラティーノ詩人である。彼は身をもって二つの世界の分裂を体現しているのだ。だから彼は二つの世界、向こう側アザー・サイドとこちら側との境界に敏感だ。そして、その二つを一つにし、分裂を統合する方法をつねに模索しつづける。この本はその苦闘の個人的な記録でもある。

 本書のバックグラウンドにもなっているエル・サルバドル内戦について。
 スペイン領だったエル・サルバドルは一八五六年に正式独立を果たすが、その後も米国資本の流入によって貧富の差は拡大する一方だった。その頂点にいた「十四家族」と呼ばれる特権階級は農地の五十パーセントを所有していた。極端な寡占状態である。そこに最初に反旗をひるがえしたのがエル・サルバドル共産党の創始者ファラブンド・マルティである。マルティは一九三二年、農民軍を率いて反乱を起こす。だが熾烈な弾圧を受け、農民三万人が虐殺された。マルティもこの時殺される。しかしその名は圧制に対する反抗のシンボルとなった。
 その後も軍事クーデターが繰り返されるばかりで、社会的不平等はいっこうに解消される様子がない。七〇年代に入ってから、軍政に対する左翼ゲリラ組織が次々に誕生した。七八年五月には日系合弁企業インシンカ社、松本社長の誘拐事件が起きる。ゲリラ側は合弁企業を「人民を搾取する帝国主義の代表者」と見たのだ。身代金交渉がおりあわず、結局松本社長は殺される。同年末には同じくインシンカ社の取締役鈴木氏が誘拐、今度は二十億円と言われる巨額の身代金が支払われて身柄は解放された(『帰郷』にある事実経過は一部誤り)。この潤沢な資金によって、ゲリラの足元は固まった。
 一九八〇年、分裂していたゲリラ組織はファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)として大同団結を果たす。同年三月のロメロ大司教暗殺により、エル・サルバドル内戦は本格化した。左翼ゲリラに、右派陣営は退役軍人、治安警察らによる「死の軍団」を作って対抗した。「死の軍団」は政府の黙認のもと、白昼堂々と誘拐、拷問、暗殺を繰り返し、市民を恐怖のどん底に陥れた。一方で農民や学生を支持層にしたFMLNも力を強め、八三年には国土の三分の一を実効支配するにいたる。隣国ニカラグアに続く左翼革命は目前であるかのように見えた。
 これに危機感を抱いたレーガン政権はなりふりかまわず政府のテコ入れに走った。米国の軍事援助によって戦線は膠着状態におちいる。なおも戦争は続いたが、九〇年のニカラグア総選挙でのサンディニスタ政権敗北により、和平機運が高まる。九二年一月にはゲリラと政府のあいだで和平条約が結ばれ、内戦は終結した。
 作者マルティネスらの世代(とりもなおさず、ぼくの世代でもある)にとっては、左翼革命はある意味ではロマンティックな戦いだった。ニカラグアにおけるサンディニスタの勝利が、元々反米感情の強かったラテン・アメリカの若者たちに与えた衝撃はすさまじいものだったろう。ラテン・アメリカの左翼闘争はマルクス主義的であるよりも民族主義的であり、心情的なものだった。ぼくにとって、サンディニスタとはまずクラッシュの歌だ。何よりも社会的不平等と戦うロマンティックで格好いい戦士だったのだ。その思いは、この本に登場するサルバドルの若者たちとも共通しているはずである。ロマンティシズムで革命を勝ち抜くことは出来ない。だからFMLNやサンディニスタの敗北は当然のことだったのだろう。だがそれでも、ロマンそのものが負けるわけではない。それも本書に描かれている通りである。

 蛇足になるが、神戸を未曾有の大震災が襲ったのはちょうどこの本を訳している最中のことだった。テレビを見ながら、ぼくは「十月の風」で語られているサン・サルバドル大地震がそっくり繰り返されているかのような起視感を味わった。サン・サルバドルのスラムでも、長田の商店街でも、起こっていることは全く同じである。ぼくにとっては、おかげで本書はさらに身近なものになった。



 本書はRuben Martinez著The Other Side: Fault Lines, Guerrilla Saints and the True heart of Rock'n'roll (1992, Verso)の全訳である。底本にはVerso版を使用した。なお、編集は白水社の藤波健氏が担当された。


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Kiichiro Yanashita / 柳下毅一郎 / yanasita@gol.com