『セレブレーション』

(初出『エスクワイア』99年6月号)


 プログラム・ピクチャーとは、映画の大量生産システムに他ならない。できるだけ効率よく、大量に映画を作るために契約スタッフを雇い入れ、パターンの決まったジャンル・ムービーを量産する。定型が決まっているから逸脱しようとする動きが新たな創造性を産む。それはまた観客にとっても刺激となり、新たな客を呼びこむ。そうやって回転していくのがプログラム・ピクチャーだった。

 だが、大量生産を前提にしたシステムであるだけに、このシステムには無駄が多い。システムを維持するだけのために、とんでもない金がかかってしまう。したがって映画界が斜陽の日を迎え、大量の映画が必要とされなくなった途端、プログラム・ピクチャーは放棄された。そのときいかにして映画を作るのか? それは現代の映画作家がみんな抱えている課題である。

 デンマークの奇人ラース・フォン・トリアーは、いかにも彼らしい方法でこの難問に挑戦した。彼はプログラム・ピクチャーをでっちあげて見せた。それが〈ドグマ〉である。

 昨年のカンヌ映画祭でセンセーションを引き起こした〈ドグマ〉は、デンマーク出身の若手映画監督四人による映画製作集団である。〈ドグマ〉とは映画製作上の教条[ドグマ]を意味する。彼らは映画製作の十ヶ条を定め、それにしたがうかたちで映画を作ろうとしたのだ。たとえば、すべてロケーションで撮影する(第1条) カメラは手持ちのみ(第3条) 殺人や武器の使用は禁止(第6条) 時間的、空間的な乖離は禁止(第7条)……といった具合である。〈ドグマ〉はこれ見よがしのテクニックの使用を禁じ、真の映画的な語りを見いだす、と彼らは主張する。おもしろいのは、実際のところ〈ドグマ〉の条項は映画の語りと同じくらい映画の予算も限定してしまっているということだ。〈ドグマ〉は映画の製作費を高騰させるような要素を、ほとんどすべて切り落としてしまっている。だが、現実問題としてヨーロッパの片田舎に住む無名映画作家に、大スターを起用した大作が作れるわけがない。〈ドグマ〉はそれを逆手に取って、低予算の群像映画をひとつのブランドに仕立てた。彼らはわざわざ監督名をクレジットからはずし(第10条)、プログラム・ピクチャーにおける職能としての監督への憧れを示して見せさえする。

 枠の中で最大限の自由を試みる。とことんまで自由なはずの若手映画作家たちは、みずから枠を作ることで、プログラム・ピクチャーの作者たらんとした。ここまで倒錯していると逆に爽快なくらいだが、実際〈ドグマ〉は成功している。ラース・フォン・トリアーというスターがいる。もちろん観客もいる。もっぱら映画祭にだが。これまで3本作られた〈ドグマ〉映画はカンヌとベルリンでそれぞれ国際審査員賞、銀熊賞(準グランプリ)を獲得している。〈ドグマ〉は国際映画祭向けのプログラム・ピクチャーとして、しっかり機能を果たしているのだ。


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Kiichiro Yanashita / 柳下毅一郎 / yanasita@gol.com