哲学者の戦争−−『シン・レッド・ライン』

(初出『エスクワイア』99年4月号)


 テレンス・マリックほど常套句を誘発する映画監督もいない。「伝説の映像作家」、「ハリウッド最後の芸術家」、「世界でいちばん新作が待たれていた映画監督」−−だが実際、この常套句はすべて当たっている。そしてマリックほどふさわしい監督もいない。

 ハーヴァードで哲学を学んだ(!)マリックはこれまで二本の映画を発表している。73年の『地獄の逃避行』、そして78年の『天国の日々』である。この二本で映画界に忘れえぬ印象を残し、そしてそのまま姿を消した。以後二十年、行方は杳として知れず、ホームレスになったとも、精神病院に入っているとも言われた。繊細な狂気に満ちた映画を見ていれば、そんな伝説も信じられるはずだ。

 そのマリックが二十年ぶりに新作を作った(ところで不在のあいだだが、実際にはソルボンヌで哲学を教えていたらしい)。太平洋戦争の最激戦地、日本軍二万人が死亡したガダルカナル島攻防戦である。

 ガダルカナル戦は太平洋戦争の転換点でもあった。それまで一方的に版図を拡大していていた日本軍の勢いがはじめて食い止められ、ここから米軍による反転攻勢がはじまるのである。それまで、米軍と日本軍とのあいだに本格的な肉弾戦はなかった。それまで日本軍は未知の存在、何を考えているかもわからない東洋の悪魔だった。相手の姿が見えないときには、ひたすら恐怖心ばかりが高まるものである。実際には餓えにさいなまれていた日本軍を、米軍は悪鬼のごときサムライとして恐れていた。その精神状態を反映するかのように、『シン・レッド・ライン』にはなかなか日本軍が登場しない。緊張感ばかりが高まる進軍のあいだも、一転して火薬が炸裂し銃弾が乱れとぶ激戦のあいだも、日本軍の姿は見えないままだ。白兵戦すらが一メートル前も見えない濃い霧の中でおこなわれる。兵士たちは敵の姿を見ぬまま、盲滅法突撃する。

 敵が見えない戦争とは、どんな戦争なのか? ただひたすらに殺戮に走る場合も、ゲーム的に戦いを楽しむ場合もあるだろう。だが、マリックは哲学者である。相手がいないなら、そのときには自分と向かいあうよりあるまい。哲学者の戦争は深く内側に沈みこんでいく。それは自分自身への問いかけだ。

 マリックの兵士たちは「なぜ、世界にはこんな邪悪があるのだろう?」と問いつづける。なぜ、神は悪を作らなければならないのか? あまたの神学者たちが問いつづけた疑問が、愚直にも、また繰りかえされる。哲学者にとっての戦争は、答えなど出るはずもない大いなる疑問なのである。そこでは、個々の生や死などすべて捨象されてしまう。すべてはもっと大きな営為の一部なのだ。マリックは、彼を伝説にした信じがたい映像美でそのことを教えてくれる。血生臭い激戦の合間に映し出されるトカゲや小鳥、伸びゆくジャングル。すべてが息づき、神々しく輝いている。まちがいなく神はいる。マリックの映像の中には。


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Kiichiro Yanashita / 柳下毅一郎 / yanasita@gol.com