『ベルベット・ゴールドマイン』

(初出『エスクワイア』99年2月号)


 やおいとは「山なし、オチなし、意味なし」の略だという。山もオチも意味もない、あるのは濡れ場だけ、という自嘲気味の宣言だ。実際にはやおいにだって物語くらいあるだろう。要は主眼がそこにない、ということである。やおいは女性の手になるホモ妄想だ。コミックやアニメの男性キャラクター同士のホモ関係を想像して、その濡れ場を描く。もちろん、対象はアニメにとどまらない。小説や芸能人、果てはスポーツ選手や歴史上の人物までがやおいの対象となる。やおいは世界を読み代える手段なのだ。それはもちろんゲイの現実とはかけ離れている。理想化された幻想であり、ある種の少女たちを救うものでもある。

 さて、やおい的感性は女性にかぎったものではない。すでに『ポイズン』というゲイ映画の傑作を作っているトッド・ヘインズは新作『ベルベット・ゴールドマイン』でそのことを示してくれた。

 映画の舞台は70年代のロンドン、男も化粧と羽毛の衣装が当たり前だったグラム・ロックの時代である。時代の寵児としてもてはやされながら、その頂点で謎の失踪を遂げたグラム・ロックのスーパースター、ブライアン・スレイドという男がいた。スレイドについての記事を作るように命じられた記者は、彼の過去を知る者にインタビューを試みる。やがてさまざまな証言によって、スレイドの栄光と失墜が語られる。それはスレイドとアメリカ出身のパワフルなロッカー、カート・ワイルドとの愛と別れの物語でもあった。

“ブライアン・スレイド”のモデルはデヴィッド・ボウイだとされている。実際スレイドの曲として、ボウイを使おうという計画もあったようだ。ワイルドのステージはあからさまにイギー・ポップを模倣している。だが、いかにあからさまなモデルがいようと、これはグラム・ロック史ではない。映画は歴史的事実とたわむれながらも、途中からフィクションの世界に入ってゆく。デビッド・ボウイとイギー・ポップが、スレイドとワイルドのような関係だったことはなかった。その意味では、これはまさしくグラム・ロックやおいの映画なのである。だが、女性ではなくゲイの男性であるトッド・ヘインズにとって、やおい幻想はどんな意味を持つのだろう?

 その疑問に答えてくれるのが途中に挟みこまれる記者本人の挿話である。女々しい男性として育った記者は、ことあるごとに周囲からバカにされる。スレイドのレコードを買っては「女男」「ヘンタイ」と罵声を浴びせられるのだ。その彼にとって唯一の救いが、バイセクシャルであることを公言していたスレイドとワイルドの愛の神話なのである。ならばヘインズもそうだろう。生きにくいゲイの男にとって、自分の愛するアイドル同士の美しくもはかない恋愛こそ最大の救いなのだ。ゲイの現実は自分を救ってくれないかもしれぬ。だが、そんなときでもやおいは暖かく迎えてくれるのだ。


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Kiichiro Yanashita / 柳下毅一郎 / yanasita@gol.com