『血を吸うカメラ』

(初出『エスクワイア』98年12月号)


 映画を見るのは不健康な趣味だろうか? マイケル・パウエルによれば、もちろん答えはイエスである。二階の部屋にこもって16ミリの自主映画を見つづける主人公マークに向かって、盲目の婦人は「その映画は不健康よ」と告げる。そのとおりだ。マークが見ているのは自分がおかした殺人の記録映像なのである。マークは女性を殺してその死に様を撮影し、フィルムで延々と反芻している。マークにとって映画は殺人の代替物なのだ。

 映画を作る喜び、見る喜びを描いた映画はそれこそいくらでもあるが、映画を見ることの病を描いた映画は少ない。『血を吸うカメラ』がありとあらゆる人から嫌われたのは、これが映画ファンにとってあまりに切実な問題だったからだろう。1960年に公開されたとき、映画は「不道徳」だと非難の一斉砲火を浴び、戦後英国映画を代表する存在だったマイケル・パウエルのキャリアはものの見事に叩きつぶされた。それも無理はない。この映画を見るのは、自分の傷口の中に手を突っ込むようなものだからだ。

 マークには実在のモデルがいる。1957年、3人の女性を殺害したハーヴェイ・グラットマンである。ボンデージ写真のマニアだったグラットマンは、モデル募集の広告に応じてやってきた娘を縛りあげ、苦悶に苦しむ様子を撮影した上で殺害した。グラットマンは自分の幻想を殺人というかたちで実行した。彼はSMに潜む暗い欲望と殺意のつながりをあまりに露骨に教えてくれたのだ。

 もちろん、殺人映画と殺人とは別のことだ。だが、ふたつの欲望が重なり合っていることは誰にも否定できまい。いや、その欲望を認められなかったら、映画の中でいくら人が死んでもただのゲームにしかならない。本当にはらわたにこたえるショックはないのだ。そうではない。グラットマン/マークのは自分のことである。パウエルはそれをすべての観客にわからせてやらねばならなかった。

 マークはスタジオで撮影助手として働くかたわら、アルバイトでポルノ写真を撮っている。そのモデルとして登場するのがパメラ・グリーン。彼女は英国トップのグラマー・モデルであり、ソフトコア・ポルノのヒロインであった。彼女を起用したせいで、パウエルは「ポルノを作った」のそしりを受けることになったのだが、その非難は実は正しい。パウエルは観客にポルノを見ていると認識させたかったのだ。パメラ・グリーンが何者であるかわかる者は、やがてマークが凶器をふりかざすとき、嫌でも加害者の側に立たされることになる。もちろん、それは観客一人だけのことではない。自作のヒロインであるモイラ・シアラーを犠牲者にキャスティングするパウエルは、自分もまたマークと同じ種類の人間だ、と告白しているのだ。『血を吸うカメラ』はたしかに不道徳なポルノグラフィーである。だが、そもそも映画というもの自体、多かれ少なかれ不道徳なポルノではなかったのか。何重にもしかけた罠で、パウエルはこちらにそう問いかけるのだ。


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Kiichiro Yanashita / 柳下毅一郎 / yanasita@gol.com