(初出『エスクワイア』98年9月号)
老監督のまわりには妙ちきりんな人々ばかりが集まっている。離婚で失った息子のことが忘れられないポルノの女王、「ヤリマン」といじめられて高校から逃げ出した少女ポルノ女優、浮気妻に面と向かって罵倒されつづける助監督。主人公のデカチン青年“ダーク・ディグラー”も、誰一人としてまともには生きていけないハンパ者ばかりである。稼いだ金はたちまち服と車とコカインに消えてしまう。自分の足で立てるような人間は一人も登場しない。
『ブギー・ナイツ』は悪臭ふんぷんたる70年代ハードコア・ポルノ業界を舞台にしている。はぐれ者ばかりが寄り集まった、セックスとドラッグにただれきった世界だ。当然ながら、この映画でもいいことばかりが描かれているわけではない。殺人も、強盗も、自殺もある。主人公のモデルになっているのは巨根ポルノ男優ジョン・ホームズなのだが、彼はエイズで死亡している。この世界にきれいごとはないのだ。
にもかかわらず、監督の登場人物たちに向ける目はどこまでも優しい。
彼ら欠陥だらけの人々を、老監督は雛をあやす母鳥のように慈しむ。彼の庇護の下に、家族にしくじった者たちが集まってくるのだ。あらゆる男性の淫夢を引き受けてきたポルノの女王アンバーは、慈愛あふれる聖母となってダークを慰撫する。ダークは失ってしまった息子のかわりなのだ。はみ出し者たちはお互いに足りない部分を補いあって、疑似家族を作りあげる。家族にしくじった者たちが、自分たちなりの家族を新たに作りあげるのである。家族の夢は「世界最高のポルノ映画を作る」ことだ。ダーク主演のアクション・ポルノを見て、老監督は「この作品で私の名前は歴史に残るのだ」と昂然と言い放つ。
思えばティム・バートンの『エド・ウッド』の中でも、エド・ウッドは「史上最悪の映画」『プラン9・フロム・アウター・スペース』を見ながら「ぼくの名前はこの作品と共に歴史に残る!」と叫んだのだった。エド・ウッドがハリウッドのハンパ者をコレクションして一発逆転を狙うように、老“天才”監督もはぐれ者を集めて底抜けポルノ映画を作りあげる。それが実際には高校生の作った自主製作映画みたいな代物だとしても、だからどうしたというのか? 母親にごくつぶしとなじられたダークが泣きながら言いかえすように「どんな人間でもひとつくらいうは取り柄がある」。これはまともに生きていけないハンパ者たちへの優しい慰撫の歌なのだ。