『チェイシング・エイミー』(オタクの恋の物語)

(初出『エスクワイア』98年7月号)


 オタクのセックスについては、これまで多くが語られてきた。というよりも、オタクについて語られるほとんどすべてがそれだと言ってもいいだろう。外から見たとき、オタクのもっとも不可解な部分はそのリビドー、アニメやゲームのキャラクターに対して劣情を催せるという点だからだ。では、それと対になっているはずの恋愛についてはどうだろう? 絵に描いたキャラクター相手にリビドーを燃やせるからといって、それで恋をしなくなるわけではない。もちろんオタクも恋をするのだ。

 しかし、なぜかオタクは恋愛とセックスを切り離したがる。オタクの恋愛映画といって思いつくのは映画青年が作りたがる「不思議少女」系の類である。セックスの臭いを感じさせない美少女相手にひたすら戯れる(たとえば今関あきよしの一連の作品のような)、見ているこっちが恥ずかしくなるような作品が流行したものだ。さすがに映画としては絶滅したが、それで終わったわけではない。ゲームの世界で隆盛をきわめる「恋愛シミュレーション」は間違いなくこの流れの下流にあるものだろう。セックスを肉体から切り離そうとするのがオタクの特質なのだから、セックスと恋愛を切り離そうとするのも当然かもしれない。だが、世の中そう簡単にいくものだろうか。

『チェイシング・エイミー』の主人公ホールデンはアングラ・コミックの作者である。幼なじみの友人と二人組で胸にハッパマークをつけたスーパーヒーローもの『ブラントマン&クロニック』(眠剤マンと常習者、といったところか)を描いてそれなりの人気を集めている。ある日、ホールデンはゲストとして呼ばれたコミック・コンベンションで、ロマンス・コミックを描いているという少女コミック作家と出会う。ホールデンは彼女に一目惚れしてすぐにつきあいはじめる。だが、とある事情で彼女が自分に恋愛感情を抱いていない(抱く可能性すらない)のは最初からわかっている。彼女からは「いいお友達」扱いを受け、ホールデンくんは行き場のないリビドーを抱えて煩悶しなければならない。

 ホールデンくんは知的オタクのひとつの典型だ。セックスに対しては潔癖性で、ロマンチックな恋愛観を抱いており、誰に対しても決してヒステリックにならず客観的な視点を守ろうとする。あくまでも自分の世界を崩そうとせず、同様に相手の立場を尊重するがゆえに、いいお友達になってしまう。プラトニックでいい、と納得しようとするホールデンも、やはり最後には自分のセックスと直面しなければならなくなる。その点において、ホールデンの悲喜劇はまさにオタクの恋愛につきものの悩みなのだ。その名が文学史上に冠たるうじうじしたオタク少年、ホールデン・コールフィールドくんと同じなのはけして偶然ではない。


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Kiichiro Yanashita / 柳下毅一郎 / yanasita@gol.com