『グッド・ウィル・ハンティング』ロマンチックな天才はいるか

(初出『エスクワイア』98年5月号)


 MITの数学教授が学生に宿題を出す。院生レベルの難問だ。ところが、誰も知らないうちに黒板にその回答を書く者があった。掃除夫の青年ウィル・ハンティングである。ウィルはフィールズ賞受賞者である数学教授をも驚嘆させる数学の天才だった。孤児ウィルは図書館に通って独学で数学を学んでいた。教授が指導しようとするとウィルは反発する。誰にも心を開かず気楽な不良暮らしを続けようとするのだ。

『グッド・ウィル・ハンティング』はきわめてロマンチックな映画である。ウィルはロマンチックな天才だ。ここでは「天才」は原っぱに転がっているダイヤモンドのようなものとして描かれる。本当の天才には教育など必要ないのだ。ウィルは図書館に通うだけで、社会学から美学、精神分析まで、ありとあらゆる分野に知識をたくわえている。指導者たらんとした数学教授すら、彼の才能には嫉妬と絶望を覚える。天才は誰からも教えられないから天才なのだ。インドの数学者ラマヌジャンはまともな教育も受けずにさまざまな定理を発見してのけたではないか?

 だが、これはロマンチックな神話である。

 実際には、ラマヌジャンの才能は誰の目にも明らかだった。彼が大学を落第するのは、数学以外の学科にまったく興味を示さなかったからである。にもかかわらず、周囲はその才能を惜しんで援助を与えつづけた。もし実際にウィルのような「天才」がいたとしても、彼は数学者にはならないだろう。たぶん野球のスコアを暗記し、効率的にドラッグを売るために頭を使うはずだ。教育抜きの才能などありえない。

 にもかかわらず、この神話を信じたがる人は多い。

 観客にとっては、ウィルは知的エリートの鼻を明かしてくれるヒーローである。バーで思い上がったハーヴァード学生をやりこめるシーンは痛快きわまりない。正式な教育を受けない天才。それは現状に不満を抱いている人々の変身願望に答えてくれる。あるいは売れない俳優時代にこの脚本を書いたマット・デイモンとベン・アフレックにとっても、この神話は望ましいものだったに違いない。掃除夫の身分から、ある日突然スターとしてちやほやされる身分になる天才児。周囲には見えていない天才的才能の持ち主。願望充足の臭いがただよう。

 そして監督ガス・ヴァン・サントもまた、この神話を信じたかった一人だろう。才能ゆえにアウトサイダーの立場におかれてしまった少年の姿に、スタジオ映画の中であがくインディペンデント映画作家を重ねあわせることはたやすい。これまたロマンチックな神話なのである。だが、神話によりかかって物語を完成させるのが才能だろうか。真の天才とは神話的な予定調和を破るものである。ヴァン・サントの才能も、そつなく演出したストーリーではなく、にじみ出る数学教授の性的嗜好に見てとらなければならない。


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Kiichiro Yanashita / 柳下毅一郎 / yanasita@gol.com