(初出『エスクワイア』98年4月号)
「『大アマゾンの半魚人』は愛を求めていたのよ」と言ったのはマリリン・モンローだが、実際彼らはつねに愛を求めている。キングコングもギル・マンもメタルーナ・ミュータントも、つねに薄物をまとった美女を誘拐する。それを称してモンローは「愛を求めている」と言ったわけだが、これをもっと直裁に言い換えることもできる。つまり、怪物はセックスを求めているのだ。
生物学的にはとてもお似合いとは言えない相手に、怪物たちはなぜ魅かれるのか。それはもちろん怪物が象徴であるからだ。古典的SF映画はシンボリズムの塊である。冷戦下では宇宙人は赤い星火星からやってくる集合精神の持ち主の共産主義者どもだった(その遠いこだまが『ID4』あたりには感じられる)。では美女を襲う怪物たちは? 当然人間の獣性、ということになるだろう。だが獣性は理性によって押さえこまれねばならない。科学の勝利を謳いあげる古典SFの論理にしたがえばそうなる。だからフェイ・レイをさらったキングコングは機銃掃射で撃ち殺され、無意識[イド]の怪物は消されなければならない。
さて『エイリアン』である。あの映画についてはさまざまなポイントが挙げられるだろうが、そのひとつがエイリアンの造形だ。ギーガーのエイリアン造形の独創性はいまさら指摘するまでもあるまい(その後の怪物デザインに与えた影響を見れば一目瞭然)。何より強烈だったのはそのセックス臭さである。だらだらと全身から滴り落ちる粘液。つるりと禿げあがった頭部。さらに二段に飛び出して伸長する顎。人を犯す強酸性の体液。どれもが強烈にエロスの記号を発する。ギーガーのデザインは両性具有的であり、その意味では汎セックス的である。『エイリアン』はそれまで愚鈍な怪獣デザインに隠されていた観客の欲望−−薄物をまとったヒロインを襲うこと−−をはっきり目に見えるものにした。暗闇から突然あらわれ、下着姿のシガニー・ウィーヴァーに襲いかかるエイリアンは強姦魔そのものだ。だからこそとてもセクシーとはいいがたいシガニー・ウィーヴァーが生涯最高のヒロイン役を勤められたわけである。
『エイリアン4』では、エイリアンはリプリー(ウィーヴァー)からクローンされて甦る。ここでは、エイリアンはリプリーと元エイリアンの遺伝子が混ざりあった混血の子供だ。すでに第三作で、彼らは宿主の遺伝子にしたがって自分の身体を描き変える遺伝子の入れ物となっていた。まさしく歩く生殖器である。そのペニスたちは見事リプリーを受胎させ、ついにこの四作目では子供が誕生してしまった。〈エイリアン〉サーガとはエイリアンのリプリーに対する長々とした求愛ドラマなのである。その愛は報われたのか? エイリアンの粘膜に包まれて喘ぐ彼女の姿を見れば、その答えはあきらかだろう。