(初出『エスクワイア』98年3月号)
ホラー映画の恐怖は生理的なものでなければならない。生理的な恐怖感を抱かせないホラー映画など無意味だ。だから優れたホラー映画はまず観客のことを考える。『悪魔のいけにえ』を見ていちばん怖がるのは十キロ四方に誰も住んでいないような田舎に住む人たちだ。そんな生活をしていれば、狂人一家が隣りに住んでいる可能性だってたやすく信じられる。そしてドライヴイン・ムービーの主要ターゲットはそんな田舎町の住人なのである。ジェイソンが襲うのはあくまでもデートで映画を見に来るティーンエイジャーなのであり、そして『スクリーム』など最近のホラー映画がますます自己言及的になりつつあるのは観客の大多数がジャンル・ファンとなりつつあることを示している。
では、都市生活者向けのホラー映画はどんなものなのか。いや、都市生活者の生理的恐怖はどこにあるのか?
そのひとつの答えに都市伝説がある。都市伝説は生活者の本能的不安を反映している。その不安を物語化したものこそが都市伝説だ、とも言えるだろう。だから恐怖の源泉をたどっていけば必然的にそこにたどりつくのだ。有名な都市伝説をそのままモチーフにした『アリゲーター』では捨てられたペットのワニが巨大化して下水道に住んでいるとされる。地下道の闇への恐怖を共有しているからこそ、そんな荒唐無稽な物語にも観客は巻きこまれるのだ。
『ミミック』でも、恐怖は肌に感じられるものである。それは遺伝子操作の暴走や得物をふりかざす怪物に襲われることではない。そうではなく、マンホールのふたを開けて深淵を覗きこんだときのおののき、地下鉄でたった一人になってしまったときの肌寒さである。『ミミック』の表面にただよっているのはそんな皮膚感覚である。
もちろん映画はそれだけでは成立しない。闇の恐怖はただの導入部でしかないからだ。だが『ミミック』はあくまでも生理的恐怖にこだわりつづける。恐怖の中心になるのは遺伝子操作によって変異して生まれた巨大ゴキブリである。ドルビー・サラウンドで場内をかけめぐり、飛びまわるゴキブリ。襲いかかるゴキブリを踏みつぶせば体液が飛びちる。誰にでも理解できる生理的恐怖。単なるゲテモノではない。表面から最奥までひとつながりになった肌の粟立ちが『ミミック』を都会人のための究極の恐怖映画にしているのだ。