(初出『エスクワイア』98年2月号)
『タイタニック』では史上最高額である二百四十億円の予算が過去を精密に再現するために使われた。ロシアの潜水艦をチャーターして北大西洋に沈没した本物のタイタニック号を撮影し、それと寸分たがわぬ実物大のタイタニック号セットを再現した。水中撮影のタイタニックの映像からセットの映像へとつながる流れるようなオーヴァーラップはなるほど見事である。現実の映像から過去へ、ここでいかにも映画的に話がつながる。当然、かつてのタイタニック船上、その内装も食器やシャンデリアにいたるまで完璧に再現されている。ジェームズ・キャメロンの偏執的情熱にはほとほと感心させられる。
しかし、感心と感動とはまるで別の話だ。
『タイタニック』は壮大なラブ・ロマンスである。意に添わぬ結婚を強いられた自由を愛する処女[おとめ]と、才能あふれる貧乏画家とが運命の船で出会う。いささか少女趣味な気がしてならないが、それはそれ。問題なのはこれが物語の中心、というよりも唯一のプロットだというところにある。いささかでも性格を持ったキャラクターはこの二人以外には三角関係の相手である婚約者のみ。それ以外の登場人物はただ員数合わせにその場にいるだけだ。
タイタニック号の沈没では全乗船客の三分の二以上が死亡した。とてつもない悲劇である。だが、千五百人の死者も、それだけではただの数字でしかない。死者一人一人の重みを感じさせる工夫がなければ、三分の二が全員死亡でも同じことだ。そして、その点ではキャメロンは完全に失敗していると言わざるを得ない。性格も持たず、名もない人々が何人死のうと、せいぜいが数合わせでしかない。『ポセイドン・アドベンチャー』でシェリー・ウィンタースが死ぬシーンを誰が忘れられるだろう。だが、あれ以上の場面などいくらもあるはずのこの壮大な沈没事故で、ドラマチックな死はたったひとつ(それも、容易に予想されるもの)しかない。
どうやらキャメロンにとって、過去の再現はドラマよりも何よりも、おそらくは観客よりも重要なものだったらしい。死亡する人物も生き残る人物も、あくまでも史実に忠実に造形されている。実際「完全に架空の人物は三人のメインキャラクターだけだ」とキャメロンは自慢しているらしい。なるほど確かにタイタニック号には潜水の名手は乗っていなかったろう。だが、観客の誰もが感動したシーンを抜いてしまって、キャメロンは何を達成するつもりだったのだろう。完璧な歴史の再現。それは盛り上がりもカタルシスも何もない、完璧な監督の自己満足である。