『クラム』

(初出『エスクワイア』97年5月号)

 クラムには三人の兄弟がいた。チャールズは二十年前に買った本をひたすら読み返しつづけている。マクソンは毎日ヒモを飲みこんで、剣山の上で瞑想する修行をしている。ロバートは……ロバートは憑かれたようにスケッチブックにペンを走らせる。描いていないと気が狂ってしまう、と洩らしながら。
 ロバート・クラムは60年代アンダーグラウンド・コミックの巨匠である。太い線で描かれる力強い、とりわけ下半身が発達した女性。縮こまり、女性を仰ぎ見るような男たちはいつも背中におぶさっている。それにクラムの自画像。帽子をかぶり、瓶底眼鏡の奥で間抜けそうな笑顔を浮かべながら、ひたすら鬱屈をつのらせている男。クラムのコミックは猥雑で、攻撃的で、俗悪で、露悪的である。倫理規定に縛られて、ほとんど倒錯の域に達するほどに清潔だったオーヴァーグラウンド・コミックとはまるで正反対の存在だった。クラムは大学生のあいだで爆発的な人気を得、カウンター・カルチャーの寵児となった。
 クラムはひどく性的なコミックを描く。彼の描く女性は胸と腰が異常に大きい(デッサン力不足からではない−−実は見事な技術の持ち主だと、映画の中でしめされる)。古代人が塑像にかたちづくった豊穣の女神のようである。その地母神の前で、クラムは長い手足を持てあますかのように抱えこみ、丸くなる。映画の登場人物そっくりのむちむちの女の子相手にたわむれるクラムは、ひどく楽しそうである。あからさまな胎内回帰。その普遍的イメージが、クラムのコミックをあれほど力強いものにしたのだろう。だが、クラム自身はそうとは意識していないようだ。彼は自分のフェティシズムを弁解しない。ただ、「無意識から生まれたもので、意味など考えたこともなかった」と言うばかりである。
 クラムが無意識から引き出す怒りは、ときにこちらをたじろがすほど濃密である。人気の出たキャラクターを無意味に殺し、女性蔑視(女なんて性器だけあればいい、と言わんばかり)や社会に適応している“普通人”への憎悪をぶつける。この怒り、この抑圧されたセクシャリティはどこから生まれるのか?
 やがて映画が明るみに出すのはクラム家の三人兄弟の関係である。天賦の才に恵まれていた長兄チャールズは、やがて自分のエゴと両親の抑圧に押しつぶされて廃人と化してゆく。チャールズが高校時代に描いていたコミックは恐ろしいまでに美しい。技術的には完璧で、なおかつ完全に狂っている。父親は子供に暴力をふるう専制君主、母は薬物中毒の廃人。繊細でかつ強情な子供たちはどうしようもなく歪められていく。50年代の理想家族像の裏返しのような病める家族、クラム家が生み出した最良の存在、ロバート・クラムが作り出したのがアンダーグラウンド・コミックだったというのはなんとも興味深いことだ。アンダーグラウンドは病根の表出であり、60年代はアメリカの病のすべてが明るみに出たときだからだ。

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Kiichiro Yanashita / 柳下毅一郎 / yanasita@gol.com