Escquire 97年4月号

『マーズ・アタック』

(初出『エスクワイア』97年4月号)



 子供じみた、という言葉はたいてい悪口として使われるわけだが、こと『マーズ・アタック』に関しては、それは誉めているのと同じことである。『マーズ・アタック』は子供がおもちゃ箱をひっくり返したような映画だ! ティム・バートンはまるで子供だ! そう、その通り。バートンはまさしく体だけ成長した十歳児であり、『マーズ・アタック』は子供だましな遊びだ。それこそがバートンの天才なのである。
『マーズ・アタック』は五十年代の侵略ものSFのパロディである。ある日悪ふざけと残虐行為の大好きな小さな緑色の火星人が、「ホイールキャップみたいな」円盤に乗って地球にやってくる。頭の中にあるのは、いかに地球人を騙し、バカにし、残虐に殺すかだけ。対する地球側と言えば、これが全員揃ってバカばかり。大統領はカメラの見栄えのことばかりを気にして、自分では何ひとつ決断できない。火星人は友好的種族だと信じる科学者、核攻撃をして全滅させるべきだと主張するタカ派軍人、どれもみな、現実がまるで見えていない。地球人が何を考えていようと、ただ火星人は踏みつぶしていくのみなのだ。ほとんど天災である。
 ギャラの順か、と言いたくなるほど、地球人は小気味よく殺されていく。火星人のかなりブラックなジョークと、地球人の愚かしい死に様が映画最大の見所なのだ。まるで子供が蟻の巣を踏みにじっているかのごとき有様。うるさい大人は(リベラルも右翼も)皆殺し。火星人は漫画的な悪ふざけをくりひろげる。唯一、活躍するのはテレビゲーム狂の子供と、一家のはぐれ者である心優しいおばあちゃん子。これが子供の夢見る世界でなくてなんなのだ。
 だが、それこそがバートンの天才たる所以なのだ。
 バートン最大の魅力、それは彼が無意識で映画製作をしていることである。少なくとも、外からはそう見える。ティム・バートンの映画は、どれも、あくまでも個人的なものだ。手がハサミになっていて、他人を傷つけずに抱くことが出来ない少年も、愛されたいのに人に恐怖を振りまくことしかできないカボチャ大王も、ティム・バートンの体現に他ならない。史上最低の映画監督、エド・ウッドにも、当然バートン自身の孤独感が投影されているだろう。あくまでも個人的なものとして映画を作り、しかし、それはあくまでもポップに、誰にでもわかる悲喜劇として完成する。普遍的でありつつ、深く個人的。それをほとんど直観のレベルで行っている(少なくとも、外からはそうとしか見えない)。これを天才と言わずして、なんと言うのか。
 ティム・バートンには計算はない。バートンは無意識の命じるままに映画を作る。本能によって行動する、まさしく子供のように。バートン映画は子供の遊びである。そこに意味を求めても無駄だ。今のハリウッドで、ひたすら遊びに興じていられることが、まさしく天才の証明なのだから。

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Kiichiro Yanashita / 柳下毅一郎 / yanasita@gol.com