(初出『エスクァイア』2001年2月号)
新作『シックス・デイ』はクローンが実現された近未来が舞台にしている。すでにクローンにまつわる技術上の問題はすべて解決しているが、人間のクローンは倫理面から禁じられている。ある日アダム(シュワルツェネッガー)が家に帰ると、家には自分と同じ人間がいた。妻を抱き、子供をあやしている“自分”は何者なのか? そしてそれを見ている自分は? アダムは自分の人生を取り戻すため、孤独な戦いをはじめる。
もちろん、映画はいつものシュワルツェネッガー映画的展開を見せ、クローンとオリジナル、二人のシュワが二倍のハイパー・アクションで敵をぶちのめす。だがそんなことよりも気になるのは、なぜシュワルツェネッガーはクローンとオリジナル、シミュラークルとシミュレーションといったディック的テーマばかりを好んで扱うのかということである。
シュワルツェネッガーにはそのものズバリP・K・ディック原作の『トータル・リコール』がある。偽の記憶を植え付けられていた男が、記憶と過去を取り戻そうとする物語だ。『ラスト・アクション・ヒーロー』では、シュワルツェネッガーは映画の中のスーパーヒーローを演じる。だが現実から入りこんだ少年によって、彼は自分が生きているのがかりそめの架空の世界に過ぎないと教えられるのだ。そして『トゥルーライズ』はスパイの隠れ蓑としてまったく架空の人生を送っている男が主人公である。
フィルモグラフィを見るかぎり、シュワルツェネッガーはあきらかに精神的に大きな問題を抱えている(シュワルツェネッガーほどのスターなら、自分の出演作はすべて自分で選べるのだから)。人生がうつろな偽物に思われ、本当の自分がどこかにいるように感じている。生の実感を欠き、自分が何者かわからないまま。
これがウディ・アレンならば、あるいはケヴィン・スペイシーならば誰も驚かないだろう。シュワルツェネッガーが特異なのは、観客にも映画の論理にも反しているにもかかわらず、自分の妄執に固執しつづける点である。実存的不安などアクション映画には無用だし、あれほどの筋肉の鎧があれば、アイデンティティを考える必要などなかろうに。それとも逆に、意外と脆弱な自己を守るために鎧を身にまとったのかもしれない。オーストリアから移民し、ボディビル界のスーパースターとなり、ハリウッドに乗りこんでもまだ彼の居場所は見つからないままなのだろうか。
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Kiichiro Yanashita / 柳下毅一郎 /
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