(初出『エスクァイア』2000年11月号)
アナロジーははっきりしている。マグニートーが人間を劣った種だと信じるのはナチスの強制収容所で両親を失ったためである。だがプロフェッサーXは、それでもなお人間性を信じよ、と呼びかける。憎悪は憎悪しか、差別は差別しか生まない。その愚かさを『Xメン』は訴える。ナチス時代のドイツならばまちがいなく収容所に送られる立場にある監督ブライアン・シンガー(彼はユダヤ人である上にゲイでもある)にはことのほか身近なメッセージであるはずだ。だが、実際のところは?
三十年以上も連載がつづいている“Xメン”には十人を越えるメンバーがいる。当然ながら映画化にあたってはメンバーは厳選され、人気者だけが選り抜かれている。シリーズ最大の人気者ウルヴァリンはもちろん選ばれた。ただしコミックそのままではない。もともとは全身毛むくじゃらで獣に近い存在だが、映画では髭もすっきりあたった二枚目になっている。初代“Xメン”のリーダーだったサイクロプスとその恋人ジーン・グレイも合格組。その一方で青い毛むくじゃらの天才科学者ビーストは映画に生き残れなかった。三本指で猿のようなテレポート能力者、ナイトクローラーも映画に登場しない。彼の姉は出ている。自在に姿を変える変身能力者のミスティークである。ただし悪役として。青黒い肌をしたミスティークはマグニートーの忠実な部下である。マグニートーの部下として登場する悪のミュータントは他にもいる。トードは長々と伸びる舌を持つカエルの化物、セイバートゥースはウルヴァリンのライバルだが、こちらははるかに獣に近い。
これはどういうことなのか? 醜い獣じみた突然変異たちはみな悪者であり、正義のミュータントはすべて美女と二枚目だ。ハンサムなスーパースターたちは超能力を駆使して醜い化物を叩きのめす。なるほどそれなら誰もが善玉を応援し、正義の勝利に心おきなく喝采できるだろう。だが、そのどこに差別を考えさせる余地があるのか? たとえ姿形が醜くても同じ人間に変わりはない。そう『Xメン』は訴えていたはずである。だが、いかにもハリウッド的な無邪気なエリート主義に乗った時点で、映画版『Xメン』は本気で差別について考えることをやめてしまったのだ。