『ドグマ』

(初出『エスクァイア』2000年8月号)


 世紀末をあてこんで作られた大量のハルマゲドン映画は、いずれもコケ脅かしだけは立派だが中身は何もないスカスカな作品ばかりだった。派手なのはスターのギャラと爆発のみ。『ドグマ』もまた、そうした世紀末映画の一本である。オールスターキャストに見合った重量感はない。だが、この映画にかぎって言えば、そうなったのは作り手が何も考えていないからではない。むしろケヴィン・スミスが作家性を発揮したゆえの結果である。

 ケヴィン・スミスはロー・バジェットを超えるノー・バジェット映画の旗手として注目を集めた。バイトしていたコンビニの閉店中に、友達を集めて予算ゼロで撮影した『クラークス』がサンダンス映画祭で注目され、メジャーにスカウト。ついには超大作『スーパーマン・リボーン』の脚本をまかされるまでになった。だが、スミスは良くも悪くもサンダンス的自主映画作家である。自分の周囲五メートルを超えた先の世界のことはわからないのだ(そのかわり、自分の町内では王様である)。『ドグマ』もまたしかり。ここには天国を追放された死の天使が出てくる。魔王は終末を招こうと策謀をめぐらす。もちろん神様も。ハルマゲドンにつきものの騒ぎは一通り起きるのだが、まるでスケール感がなく、不良少年の喧嘩のようだ。たとえ世界の終末が来ようと、オタクは自分の家から出られないのである。

 ケヴィン・スミスの映画はすべて自分の内宇宙の投影である。ご丁寧に、彼の分身まで登場する。スミス本人が演じるサイレント・ボブというマリファナ売人だ。スミスの全作品に登場するボブは、つねに作品のテーマそのものを代弁する。『ドグマ』では、ホームタウンのニュージャージーを離れ、舞台となるシカゴくんだりまでやってくる。その理由がふるっている。サイレント・ボブはジョン・ヒューズの青春映画の熱狂的なファンで、映画すべての舞台となっているミネソタ州の架空の町をめざして旅してきたというのだ。

 ジョン・ヒューズ映画とそのヒロイン、モリー・リングウォルドはオマージュを捧げられる対象になっている。もう一人のケヴィン、『スクリーム』の脚本家であるケヴィン・ウィリアムソンは『鬼教師ミセス・ティングル』にリングウォルドを出演させ、みずからの脚本作がジョン・ヒューズの青春群像ドラマの影響下にあることをあきらかにした。ティーン・スターが大挙して出演する“トレンディ・ホラー”はヒューズ映画がお手本なのだ。

 ヒューズ映画が過去あれほどの人気を博したのは、高校生を非常にわかりやすいかたちで類型化してみせたからである。貧乏なヒロインと意地悪なお嬢様、お調子者にオタクにスポーツ馬鹿……誰だって映画の中に一人くらいは自画像を見つけられるだろう。だが、実のところ、いちばん真摯にメッセージを受けとめたのはオタクたちだったようである。リングウォルドにふたたび脚光が当たっても、あまり幸せそうに見えない(そして彼女に会えないサイレント・ボブが幸せそうに見える)のはそのせいかもしれない。


back to INDEX Esq INDEX
Kiichiro Yanashita / 柳下毅一郎 / kiichiro.yanashita@nifty.com