『おまんこ』スチュワート・ホーム
"Cunt" Stewart Home

ダミー表紙デザイン:高橋ヨシキ


 スチュワート・ホームは作家としては無名かもしれないが、アーティストとしてはそれなりに名が通った存在である。いやそうでもないかもしれない。まあ作家としてよりはまだ知られているかなあ、というぐらいにしておこう。ホームはシチュアシオニストの流れを汲む直接行動アーティストである。ちなみにシチュアシオニストとはギィ・ドゥボールらが主導して69年パリ五月革命の思想的バックボーンになった芸術運動で、消費社会の罠から逃れるためにサボタージュやハプニングを通じて都市の全体性を回復することを訴えた……というような説明はたぶんドゥボールの思想からして間違っているが、ここはそういうことにしておいていただきたい(深く追及したい人はドゥボールの本でも読んでください)。さらにはセックス・ピストルズのアートワークを担当したジェイミー・リードなどもシチュアシオニストに数えられる。さて、そんな伝統に乗ったホームがやった中でもっとも有名な活動は90年から93年にわたっておこなわれたアート・ストライキ、すなわち芸術家に芸術作品の製作を辞めるよう訴える活動である。これはちょうどそのころにアート・バブルがはじけ、ギャラリーがどんどん閉鎖されて誰も思っていなかったような成功を遂げてしまった。あるいはホームレスにブッカー賞受賞パーティの招待状を配ってみたり、ピケをはってストックハウゼンのコンサートをボイコットしてみたり。

 ホームは芸術のあらゆる制度化に反対する生まれながらの反抗者である。と言えば聞こえはいいのだが、元パンク・バンドのギタリストでもあり、ただの目立ちたがり屋だという可能性は否定できない。バンドもファンジンもつまらなくなった82年にICAで現代アートの展覧会を見て「こんなものならオレだってできる(要するにアーティストって名乗ればいいんだろ?)」と考えてアーティストとなったというほどだ。しかしきわめて攻撃的で理論武装だけはやってるんで面倒だ(ホームはシチュアシオニストからイッピー、パンクに至る歴史を概説した評論"Assault on Culture"(91)も発表している)。ことアーティスト活動に限定するならホームは頭でっかちで中身のない現代美術野郎とも見える。

 だが、そう考えてホームの小説を読むと腰を抜かす。ホームの小説はひたすらトラッシュなヴァイオレンス・ポルノなのである。

 たとえば"Red London"(94)はイースト・エンドにレイプと破壊と略奪の嵐を巻きおこすフェラチオ・ジョーンズ率いるスキンヘッド軍団の革命小説である。とは言っても彼らのやることと言えば金持ちをレイプして殺すこと、ただそれだけだ。それが階級闘争というものなのか? あるいは"Slow Death"(96)には女とヤることしか考えていないスキンヘッド青年と美術界のスターダムを夢見る〈エステティク&レジスタンス〉の二人組が登場する。まったく才能もアイデアもない〈エステティク&レジスタンス〉はレディメイド作品しか作らない。他人のショウに殴りこんで悪名を高めるだけなのだが、コネとセックスで運営される美術界ではそれでも充分通用してしまう。

 テーマはまだ反権威とかアナーキーとかなんかあるような気もするのだが、登場するキャラクターの馬鹿さ加減がすべてを台無しにしている。どいつもこいつもセックスのことしか考えておらず、困ったときには暴力でカタをつけようとする。英国ではよくブコウスキーが引き合いに出され、本人はジム・トンプソンやミッキー・スピレーンといった名前を出すが、どれもここまで馬鹿ではない。あえてたとえるなら戸梶圭太のように「安い」人たちだと言えるかもしれない。陽性の馬鹿の馬鹿騒ぎがホームの小説だ。

 本来は最新作"69 Things to do with a Dead Princess"(すでにして物議をかもしそうなタイトル)を取りあげるべきなのかもしれないが、本稿執筆時点ではいまだ出版されていないので、その前作"Cunt"にしておこう。この本、原著の表紙にはタイトルが印刷されていない。表紙にはCUNTの文字が入ったブレスレットの写真が使われ、背表紙には同封されているステッカーを貼るようになっている。放送禁止の四文字言葉の印刷を拒まれたのか、話題性を狙わせたら右に出る者なきホームの面目躍如。したがって邦題も当然放送禁止四文字言葉だ。

 今回、主人公はベストセラー作家デヴィッド・ケルソー。ケルソーはいまだかつて小説を書く上で想像力を使ったことがなく、現実に起きたことしか書かない。今ケルソーが取り組んでいるのはスティーヴン・レヴィン詐欺。夭折したパンクの若き詩人(山田かまちみたいなものか?)の作品として甘ったるい詩をでっちあげて詩集を作り、英国各地の古本屋にこっそり置いてくる。その後買いあげて回りながらレヴィンがいかに素晴らしい詩人かを吹きまくり、古書価が充分あがったところでレヴィンの詩集としてインチキ詩を出版しようという作戦である。ケルソーは英国中の古本屋をまわらなければならなくなる。ところで、ケルソーにはもうひとつ目的があった。自伝的三部作〈混沌へのカウントダウン〉の第二部以降の原稿が出版社からリライトを求められていたのである。だが、ケルソーは実際にやったことしか書けない作家である。リライトということになれば、自伝に登場するすべての女(つまりこれまでやったすべての女)ともう一度セックスしなおさなければならない。そこでケルソーは古本屋をめぐりながら昔の女をコマしまくる旅に出る。

 ともかく最初から最後までセックスと飲むことだけ。作家のコンベンションでオーストリアに呼ばれても、フィンランドに罐詰になっても、ひたすらバーでナンパし、女をコマしてセックスするばかり。たとえばオーストリアに出かければ、二人の女流作家と3Pにいそしむ。

「二人とも長い金髪だった。痩せてるのと、もっと痩せてるのと。二人は背中合わせに座ってシャワーを浴び、俺は上から小便をかけた。女の髪が小便で染まるのを見るのは大好きだったが、同時に二人となるともう死にそうなくらいだった。ストレートの金髪が汚らしい茶色に変わった。すぐあと、今度は俺が風呂場に横になり、一人に腹の上に小便され、もう一人から口に尿を注がれた。二人同時の黄金シャワーにはこの上なく興奮し、俺は強烈に勃起した。片割れがごつごつした固まりを口に含み、もう一人が俺の顔の上に座った。こんなに酔っぱらってなかったらその瞬間に射精してしまっていたろうが、自分の男らしさを証明するためにはこの方が都合が良かった。

 二人は交代し、今オレの口が舐めているおまんこはさっきまでよりさらに甘かったが、そっちの方はと言えばまさに俺の脈打つ軟骨の上に降りてくるところだった。俺のちんぽは舌になり、俺の舌がちんぽになって、オーストリアの洞窟を探検した。何もかもごっちゃになって、ザーメンを射ちだした瞬間にはチンポから出ているのか口から出ているのかわからないくらいだった。ベッドの脇で警報が鳴っていたが、気づくとそれはどっちかの女の旦那が家にいるか確かめようと携帯に電話してきたのだった。なかばまどろんでいるあいだ、電話に出ていない方は腹の上に糞をひり、体中に塗りたくった。俺はこの世界と輝きあふれる天国とのあいだにかかっている梯子を登ったシャーマンになった」

 どうよ、これ。真の芸術って感じ?


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