「僕にとってのキックとは僕の仕事、そして自己表現の手段でもあります。キックは芸術です。だから、僕のキックを見てくれた人は僕がどんな性格か、どんな人間なのか感じとれるのではないかと思います」 グラント・フォクス(”Number”#184)
グラント・フォクスは世界最強のラグビー・チーム、NZオール・ブラックスのスタンド・オフである。彼が注目されたのは、たしか前回、四年前のワールドカップの折だったと思う。そのころ、NZにはボティカという優れたSOがいて、ゲーム運びとランニングは彼の方が上だと言われていた。にもかかわらず、ボティカを差し置いてフォクスがレギュラーの座をつかんだのは、ひとえにその正確なプレース・キック力による。
ラグビーの魅力は流れるようなボールの動き、途切れることなき連続したランニング・プレーである、とぼくは思っていた。これはそんなに異端な考え方でもないだろう。大体、フィジーやフランスのような自由奔放なバックス・プレーを持つチームの方が、NZやイングランドのように決まった型を持つチームより面白いということになっている。プレース・キックやスクラムのごとき決まりきったプレーでセコセコと陣地を稼いでゆくような戦術は下等なものであり、それよりも、変幻自在のステップワークで相手を抜き去るべきである。それがラグビー思想というものだ。
プレース・キックによる得点能力、その正確さを買われ、フォクスはオールブラックスに選ばれた。正確さ! ラグビーの本質が自由奔放であるなら、それこそこれほど非ラグビー的なものもなかろう。フォクスの、そしてオールブラックスの戦略は、できる限りプレーを単純化し、予測不可能な要素を減らして、力勝負に持ち込んでしまうものである。勝つためには最善のものであろうが、見ている側にとってこれほどつまらないものもない。次のプレーがすべて予測できてしまうのなら、なんでわざわざ見る必要などあるものか。当然、ぼくはオールブラックスを嫌悪していた。真に賞賛されるべきは、フィジーやオーストラリア・ワラビーズであるべきだ。
そう、フォクスよりもボティカであるべきだ。たぶん、ほとんどのラグビー・ファンはそう思っていただろう。
だけど、今は−−フォクスの、その言葉を聞いた後では−−ぼくはそれほど確信が持てないでいる。それほどに、フォクスの言葉は感動的だった。スポーツマンが、自分のプレーは芸術であり、自己表現だと言う。それは事実であり、ぼくがこうして語っていることでもあるのだけれど、やはりスポーツマン自身の口から語られるのとは違う。ましてや、機械的、職人的な作業だ、と蔑まれている者の口から出るとなると。
4年たった。また、ワールドカップが始まった。フォクスのキックは今日も正確に、美しくゴールへ飛んでゆく。