(初出『ユリイカ』1996/3)
ボブの芸術と人生については『ボブ・フラナガン−−スーパーマゾヒスト』(Re/Search刊 『ユリイカ』臨時増刊〈悪趣味大全〉に一部訳載)にあますことなく語られている。ひほう胞性繊維症という遺伝性の奇病(肺に液体がたまるので、呼吸困難になる)を病んだ彼にとって、生きるのは苦痛と同義語だった。病院を出入りしながら成長するうち、いつしかボブは苦痛によって世界を認識するすべを身につけた。ひほう胞性繊維症は不治の病である。ほとんどの患者は二十歳前に死んでしまう。同じ病を患ったボブの妹も、やはり二十一でなくなっている。痛みと苦しみを味わい続けられただけでも、ボブは恵まれていたと言えよう。
痛みを自分に引き受けるすべを学んだとき、ボブはマゾヒストになった。彼はやがて苦痛を通じて自己表現をはじめる。ちんぽこに釘を打ちこみ、体中を切り刻む。人にショックを与えるためでもあるし、それが至高の快感を与えてくれるからでもある。壮烈なパフォーマンスは誰にも真似られない、彼一人のものである。それはまさしく“スーパーマゾヒスト”たるボブの存在証明なのだ。
共通の友人であるLAビヨンド・バロック・アート・センターのトッシュ・バーマンがボブを紹介してくれた。同居パートナー(にしてボブの女王様/スーパーサディスト?)シェリー・ローズが、二人で作ったビデオを見せてくれた。ボブは裸で手術台に寝る。シェリーはそこかしこをつまみ、引っ張り、はたきながら、ごく事務的な口調でプレイの説明をしてゆく。やっている行為と口調との落差がたまらなくおかしい。
今年こそ、日本で展覧会をやろう。そう約束してぼくらは別れた。それが最後だった。
一月四日、トッシュから電話があった。ボブは死んだ。たしかに、いつ死んでもおかしくない体だった。会ったときもソファから一度も立たなかった。だが、それでも一秒でも長く生きてほしかったと思う。生きつづけること、それ自体に意味がある人だったのだから。