本書には七人の映画作家のインタビューがおさめられている。フランシス・フォード・コッポラ、デヴィッド・リンチ、オリヴァー・ストーン、スパイク・リー、デヴィッド・クローネンバーグ、ロバート・アルトマン、ティム・バートン、以上七名。全員が八十年代のハリウッドを代表する映画作家であり、そして九十年代頭にある意味でキャリアのピークを迎えた存在でもある(コッポラとアルトマンはちょっと違うが、どちらもこのころキャリア上のターニング・ポイントを迎えている)。
オリヴァー・ストーンはどうも鼻についてかなわん、と考える人もいるだろうし(実はぼくもそうだ)、ティム・バートンはマンガっぽくて耐えられない、と感じる人もいるかもしれない。だが、たとえそうだろうと、ストーンやバートンの重要性は誰にも否定できないはずだ。オリヴァー・ストーン抜きで今のアメリカ映画を語ることはできないのだから。
ここにはストーンやスパイク・リーのようなきわめて政治的な映画作家から、デイヴィッド・リンチ、バートンといった純粋芸術家までが集められている。これはなかなか微妙な位置だ。たぶん『カイエ・ド・シネマ・ジャポン』からは作家[オトウール]と認めてもらえない人もいるんじゃないか? 純粋に映画として、芸術として選んでいるのではないことは明らかだ。むしろかなりジャーナリスティックな選択として、この七人があるのだろう。映画作家として重要だからと言うより、むしろ現代アメリカン・カルチャー(の一断面としての映画)を語る素材として選ばれているのだ。八十年代のアメリカ映画を語る上でジム・ジャームッシュははずせない存在だろうが、彼がここに加わることはない。そういうこと。
本書のインタビューはすべて米〈ローリング・ストーン〉誌に掲載された。そこら辺も、インタビュー相手の選択基準になってるんだろう。当初はインタビュアー、デイヴィッド・ブレスキンのインタビュー・シリーズとして企画されたもので、映画監督のインタビューになる予定ではなかった。そもそも、第一回目のインタビュー相手は、ダン・クエール合州国副大統領(当時)のはずだったという。それが断られ、誰にしようかと考えあぐねたあげくが……デヴィッド・リンチ! まるで百八十度の方向転換で、思わず笑ってしまう。だからリンチに向かって政治の話などしているのだろう。その後、なりゆきで(だが必然的に)映画監督のインタビュー・シリーズが生まれた。ブレスキンは映画評論家ではなく、フリーランスのジャーナリストである。インタビューが(特にバートンやリンチの回など)精神分析の様相を呈しているのは、そこら辺にも理由があるかもしれない。焦点は映画そのものよりも、監督の方に合っている。
インタビューに臨む際の心得を、ブレスキンはこう語っている。
「クローネンバーグに話をするときにはフェラーリF40の新車について知っていれば役に立つ。スパイク・リーもわたしも、ジャズとバスケットボールの熱狂的ファンだった−−彼は白人ジャーナリストはまず見下してかかるから、その知識と彼からの尊敬を交換した。ティム・バートン相手には、黒を着ていき−−彼のいちばん好きな色だ−−カウチに同じくらい深く沈みこんで視線を同じ高さにした……コッポラに対しては、自分の人生に起きた悲劇を話して、相手の心を少しよけいに開いてもらった」
また、インタビュー全体としての目標については、
「非常に広い意味で、まず第一に精神力学に興味があった。芸術と人生の結接点はどこにあるのか? 個性とプロジェクトのそれは?実はコンピュータの画面にポスト・イットを貼りつけてたんだが、3M社の科学者方のおかげで全部完了するまでそのままはがれずについててくれた。そこには『性格を浮き彫りに』と書いておいた。ゴールはそこだった。まあ、いつもそうならなかったにしても、それでも映画と映画作りと監督と生きることについて、いくつか悪くない話が出てきたはずだ」
そして、終わっての感想は、
「半分くらいまで行ったところで、奇妙なことが起こっているのに気づいた。ニュートラルな形式でやっていたのに、インタビューそのものがちょびっとそれぞれの相手の映画に似てきたのだ。全体の調子、心理的・感情的な広がり、物語の語り方(あるいはその欠如)といった点で。だからコッポラのインタビューはあちこちさまよい、情熱的で、感情豊かなものになった。リンチは超然として謎めいていて、裂け目だらけだ。ストーンは戦闘的で大ざっぱだ。リーのは力強く、だが盲撃ちだし薄っぺらい。クローネンバーグのインタビューは分析的で、解剖的で、深く哲学的。アルトマンのは捕まえどころがなく抽象的、未解決部分と袋小路だらけ。そしてバートンは言語化前の、語りにできないバカげた苦悩を表現しようと苦闘していた。振り返ってみれば、すべて完璧に論理的なことに思える。彼らはみな自分の映画のようだった。当然だ、彼らこそが映画なんだから」
デヴィッド・ブレスキンはシカゴ生まれ、現在はサンフランシスコ在住で『ローリング・ストーン』のコントリビューティング・エディターである。The Real Life Diary of a Boomtown Girl (1989)という小説を書いているほか(ブレスキン曰く「世界一売れなかった小説」)、詩や戯曲を書いており、またレコード・プロデューサーでもある。『ローリング・ストーン』以外には『エスクワイア』『ヴィレッジ・ヴォイス』などに十代の自殺から建築まで、雑多なテーマで原稿を書いている。
最後に、原書出版後の各監督の活動について。
コッポラは『ドラキュラ』の大ヒットで、長年続いていた借金地獄からようやく抜け出した。新作はプロデュースに回ったケネス・ブラナー監督・主演の『フランケンシュタイン』。リンチはTVドラマの製作(水面近くの小さな魚!)が続いている。宿願の企画『ロニー・ロケット』はいまだ実現せず。
ストーンはベトナム三部作の完結編『天と地』のあと、クエンティン・タランティーノ脚本でメディアにおける暴力の賛美を告発する『ナチュラル・ボーン・キラーズ』を発表した。しかし、その作品で暴力描写の過激さを非難されるあたりは相変わらず。
リーはブルックリンで過ごした自分の幼年期をモチーフにした『クルックリン』を発表。おそらく、本書のインタビューで触れられている部分と重なっているだろう。
『Mバタフライ』に続くクローネンバーグの新作は不明。J・G・バラードの『クラッシュ』映画化を企画中とか。ブレット・イーストン・エリスの『アメリカン・サイコ』を映画化するという報道もあった。
アルトマンは文中にも登場する『ショート・カッツ』のあと、ファッション業界を舞台にした『ナッシュビル』とも言うべき『プレタポルテ』を完成させた。
バートンは「史上最低の映画監督」の伝記映画『エド・ウッド』をアメリカで公開したばかり。完成したときからカルト化することが運命づけられているような作品である。また原案・製作の『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』公開に合わせ、日本でも処女作『フランケンウィニー』が劇場公開された。
本書はDavid Breskin: Innerviews;Filmmakers in Conversation (Faber&Faber 1992)の全訳である。インタビューの一部(約三分の一程度か)は『ローリング・ストーン』誌上で発表されている。したがって『ローリング・ストーン』の特約誌である『CUT』(ロッキン・オン社)にもリンチ、バートンなど一部が訳載されている。その分については、一部、参考にさせていただいた。クローネンバーグの回に登場する過去のインタビューは『銀星倶楽部#16・クローネンバーグ』より引用した。また、英語の不明点についてはTosh Berman氏より教授を受けた。氏に深く感謝する。
本書の編集は大栄出版の城山隆氏他数名が担当された。
一九九四年十月 柳下毅一郎