ヘンリー・ルーカス


 ヘンリー・ルーカスがいったい何人殺したものか、わかっている人間はどこにもいない。彼の自白はすべて信用するにはあまりにバカバカしく、何も信じないには信憑性がありすぎる。おそらくは、自分でも自分が何をしたかわかっていないのだろう。完全に自分の幻想の中に住みついているので、どこまでが現実でどこから幻想が始まるのかも、もうわからないのだ。
 ヘンリーは1935年に生まれた。母は娼婦だった。アル中だった父親は、酔っぱらって線路で寝ていて両足をなくした。母は役立たずの夫をののしり、いたぶった。1950年の冬、雪の中に放置されていた父は肺炎で死んだ。母のせっかんはヘンリー一人に向けられた。客を取る様子をヘンリーにわざと見せさえした。学校で先生にチョークをぶつけられたせいで、左目が見えなくなった。書いているだけで、気が滅入ってくるような人生である。ヘンリーの人生でいいことはただひとつだけだった。1960年、母が死んだのだ。これがヘンリーの最初の殺人だった。
 懲役40年の刑を受けたヘンリーだが、6年後には仮釈放された。仮釈放審査委員会で、「ここを出たら、また人を殺すかね?」と訊ねられたヘンリーは、正直に「ええ、すぐこの場でもやってみせます」と答えた。みんな冗談だと思って、ヘンリーは釈放された。ヘンリーは出て2ブロック歩いたところで、女性を殺した。
 それからヘンリーの殺人行脚がはじまった。旅しては殺し、殺してはまた次の町へ。正確な犠牲者数は不明だ。ヘンリー自身の自白も1人から600人のあいだで揺れ動いている。フロリダの奥地にある殺人教団で殺人訓練を受けたとも主張している。ともかく、このころヘンリーは相棒のオーティス・トゥールと出会った。オーティスはホモの人食いで放火魔である。二人は愛人関係にあったようだ。トゥールから姪のベッキーを紹介されたヘンリーは、一目で恋に落ちた。ベッキー13歳の春のことである。
 ヘンリーはベッキーと二人で、ときにヘンリーも入れて3人で殺人行脚を続けた。しかし、ベッキーもやはり女だった。彼女は結婚して落ちつきたくなったのだ。しかし、ヘンリーは生まれついての流れ者だった。流れ者には女はいらない。テキサス州の小さな村で、ベッキーとヘンリーはいさかいをおこし、ヘンリーはベッキーを殺した。死体はバラバラにして畑にまいた。
 ヘンリーを逮捕した警察は、これで過去20年の迷宮入り事件がすべて解決するのではないかと色めきたった。残念ながらそうはならなかった。結局、ヘンリーは11件の殺人で起訴され、死刑を宣告された。

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Kiichiro Yanashita / 柳下毅一郎 / yanasita@gol.com