『グレアム・ヤング毒殺日記』アンソニー・ホールデン 飛鳥新社
(初出:ハヤカワ・ミステリ・マガジン 1997/8)
ヤングは一九四七年、ロンドン北の住宅地で生まれた。利発だが孤独で、自分一人でいることが多かった。趣味はナチスと黒魔術、それに毒物学だ。ヤングは毒物マニアだった。ヴィクトリア時代の悔い改めない毒殺者、ウィリアム・パーマーを崇拝し、さまざまな毒物の作用を研究していた。やがて、その研究は実践へと向かう。ヤングは家族や親しい友人に毒を盛りはじめた。毒物の量を加減して、苦しめたり回復したりする様子を「研究」したのだ。やがて、実験は取り返しのつかない方向に進みはじめる。一九六二年、ヤングが十四歳のとき、義母が激しく苦しんだあげくに死亡した。検死はされなかった。相前後して父も倒れるにいたり、周囲の人々も怪しみはじめた。ヤングは逮捕されると、喜々として毒物の知識を披露してみせた。彼はブロードモア精神病院に送られた。
ここで終わっていれば、ヤングはただの早熟な殺人鬼だったろう。だが、世の中そう単純ではない。一九七一年、ヤングは「完治した」として釈放された。ヤングは光学機械の製造会社につとめたたが、会社では原因不明の腹痛が流行した。死者も二人出た。事情説明におとずれた保健所員にヤングは毒物中毒について質問を浴びせた。自然注目を引きつけて、ヤングは殺人罪で再度逮捕された。
ヤング事件からはいろんな教訓が引き出せる。保守派の論客なら、犯罪者に対して甘い「リベラルな」精神科医があらたな犠牲者を生み出したのだ、と言うかもしれない。人権派は精神病院や刑務所の経費削減が、早期釈放政策の原因だ、と言い返す。ヤングにうかうかと騙された精神科医の愚かさを訴えることもできるし、手遅れになるまでヤングの異常を認められなかった家族や同僚から、人間の弱さを読みとることもできる。
だが、どれよりも興味深いのは、ヤングの動機そのものだろう。『グレアム・ヤング毒殺日記』から聞こえてくるヤングの肉声だ。
ヤングは科学実験のつもりで周囲の人々に毒を盛り、それを記録につけた。裁判にかけられても傲岸不遜な態度を崩さず、相手を小馬鹿にした態度を崩さなかった。彼にとっては他人の生命など無に等しく、良心の呵責などかけらもなかった。あまりに鉄面皮だったので、周りの人間は疑いを抱けなかったのである。そんな人間がいるはずはない、と。
なぜ、ヤングはそんな人間になってしまったのか。それはわからない。作者にとってもそれは謎のままである。ただ、そう生まれついてしまった、と言うよりないのだろう。だが、まさにその謎がヤングの魅惑を生み出している。法廷でオスカー・ワイルドを吟じ、「人は誰でも愛する者を殺す」とうそぶくヤングは、まちがいなく魅力的である。