地上でもっとも凶々しいSF(初出《てんぷら★さんらいず》)



 この世でもっともこわいSFはなにか? 「フェッセンデンの宇宙」とか「鍵」とか「草原」とか、「夢の底から来た男」とか「ポーチで少女が子犬と」とか、人によってさまざまな答えが考えられるだろう。けっこう悩んでしまう質問かもしれない。しかし、わたしの場合、答えははっきりしている。この世でもっともこわいSFは、『合成脳のはんらん』である。岩崎書店の〈SFこども図書館〉の一冊で、作者はレイモンド・F・ジョーンズ。しかし、そんな知識はあと知恵にすぎない。小学生だったわたしにとって、出版社名や著者名など、なんの意味もなかった。タイトルだけが、とにかくこわい本として、脳裏に刻印されている。「合成脳のはんらん」。すでに題名からしておそろしい。いまこうして、キーボードをたたいてその題名を打ち出すだけでも、背中がそそけだってくる。

 「合成脳のはんらん」。いや、もしこれが「合成脳の反乱」であれば、それほどの恐怖はなかったかもしれない。だが、「はんらん」である。凶々しい妖気が字面からただよってくるようではないか。先日、弘前をたずねたおり、たまたまはいった古本屋で、わたしの見解の正しさは立証された。書棚のすみに、この本の新装版がひっそりとおさまっていたのだが、それは、「合成怪物」と改題されていたのである。無垢な子どもに「合成脳のはんらん」などというタイトルの本を読ませてはならないと、苦情が殺到したのであろう。わたしだって、もし「合成怪物」という本で読んでいれば、あれほど恐怖におびえて眠れぬ夜を過ごすこともなかったかもしれない。すくなくとも、一晩や二晩は、眠れぬ夜の数が減っていたはずだ。

 だが、もっとも不可解なのは、そもそもなぜこのような本が、子ども向きの図書として出版を許されていたのかである。どう考えても、これは子どもに読ませるようなストーリーではない。うそだと思うなら、この本を開いてみればいい。開巻早々、主人公であるジョンとマーサは、車で崖から落ちて死んでしまうのである。もちろん、登場人物が死ぬのがいけないわけではない。子どもだって、死を身近に感じることは必要だ。しかし、ものには限度というものがある。第一ページ目からすでに主人公がこの世の人ではないような話を、なぜよりにもよって、輝かしい未来が待ち受ける純真な子どもに読ませなければならないのか。まったく理解に苦しむところである。しかも、それにつづく物語も悲惨の一語につきる。サイボーグとしてよみがえって戦うというなら、まだ許してやらないでもないが、科学者だったジョンとマーサは、その脳だけを摘出され、人工頭脳につながれてしまう。意識を回復しても、身動きひとつままならない。「ジョニーは戦場へいった」をだれが子ども向きのアニメにしようと思うだろう?

 そこでジョンはどうするかというと、技術ロボットを使って、自分の手足をなる生物をつくりだすのだが、これがまたおぞましい。ここにいたって、翻訳者もまた、邪悪な心根の持ち主であることがあきらかになる。ジョンがつくりだした生物は、「合成神経細胞群塊」なるしろものなのだが、これでは呼びにくいというので、ジョンはその頭文字をとって、なんとこれを「ゴセシケ」と命名するのである。「ゴセシケ」。この世にこれほど気持ちの悪い文字の組合せは存在しない。しかもそれは、名前にふさわしく、白くてぶよぶよしたもので、それに目だとか口だとかがついていて、ぴょんぴょんはねてゆくというのだ。念の入ったことに、この本には三輪しげるという邪悪なイラストレーターの描いたゴセシケの挿し絵が、これでもかこれでもかと出てくる。多感な少年だったわたしは、寝床にはいっても、ゴセシケが本から這い出してはねてくるところを想像してしまい、総毛立った。ぜったいに目の届かない棚の上にしまいこんだのだけれど、それでもだめで、夜中に勇を鼓して起き上がり、その本を、悪いとは思いつつも両親の寝ている部屋にこっそり置いてきたのだが、そのあと安心して眠れたかというと、もちろんそんなことはなくて、ゴセシケのうようよと這い回る悪夢に悩まされたのである。

 それだけおそろしい思いをしたあげく、最後までて読んでも、救いは訪れない。結末では、ジョンとマーサは、フランケンシュタインの怪物のようなつぎはぎのゴセシケ人間となって、人工頭脳研究所の欺瞞を暴こうとするのだが、けっきょく失敗し、人工頭脳の自爆によって死んでしまう。いいことなどひとつもない。SFはハッピイエンドだと信じていた無垢な少年の日々は、この本を境に永遠に過去のものとなってしまったのである。なんという悲劇であろうか。

 しかし、おそろしいことに、悲劇はまだ終わったわけではなかった。わたしがやっとの思いで書き上げたこの原稿を読んだ妻が、こういったのである。

「あ、あたしその本読んだことある! むかしすっごい好きだったんだよね。うんうん、覚えてる、はじめて読んだSFじゃないかなあ? ゴセシケくんてさあ、なんかかわいくて、好きだったのよね」

 わたしはいま、おそるべき怪物と結婚してしまったのかもしれないという疑惑にさいなまれている。人生にハッピーエンドはないのだろうか。


top | link | board | articles | other days